建具店だった御社が、工務店として特殊パネル工法を手がけるようになった経緯を教えてください。
平成4年に地元ゼネコンを退職して実家の建具店に戻った時、取引先の地元工務店を見ていて、「工務店は、ゼネコンに比べて、顧客満足を追求する姿勢がかなり甘いのではないか」と感じるようになりました。景気が悪化し受注が減る中、「このままでは取引先工務店と共倒れになる」という危機感を覚え、平成5年頃から、現場のマナー研修などの共同実施を、取引先工務店約10数社に呼びかけました。しかし、取引先工務店の反応は鈍いものでした。 その頃、仕入先の大手建材メーカーから、このメーカーが開発した特殊パネル工法による注文住宅を、販売・施工する工務店を紹介してほしいという依頼が来ました。「メーカーからの後方支援の下、メーカー、建材店、工務店が三位一体となり、厳しい現状を打開する体制を確立したい」という提案でした。「在来工法は将来的に先細りになる」という話も、だいぶ聞かされていましたので、再び取引先工務店を集め、「一致団結してこの状況を乗り越えよう」と呼びかけましたが、認定店になるには数十万円の加盟料がかかることもあり、呼びかけに応じた取引工務店はありませんでした。各工務店の腰の重さに落胆し、「手を挙げる工務店がないなら、もう、うちがやろう」と考え、建具店の事業から工務店への事業転換を決意しました。 工務店に転換すれば、それまでの取引先をすべて敵に回すことになります。決断までずいぶん迷いましたが、迷っている私に、建材メーカーの茨城県責任者が「御社と心中する覚悟で支援する」と言ってくれたので、なんとか踏ん切りをつけることができました。
大手建材メーカー系特殊パネル工法による注文住宅の販売・施工事業は、すぐ軌道に乗りましたか。
いいえ。工務店としての出発は、まったく悲惨なものでした。やはり取引先工務店の圧力は大きく、近隣では仕事ができなくなりました。最初の4年は、表向き建具を売りながら、水面下で住宅を売っている状態でした。看板も出せず、チラシも打てなければ見学会もできず、実績もなく、親戚や知人を頼り、こっそり住宅の営業をしていました。最初の4年で受注できたのは、たったの2棟でした。本当にキツかったです。 建具販売を完全にやめ、住宅一本でやっていく覚悟が決まったのは、4年目の平成13年です。知人のつてで建てさせてもらった家で、初めての完成見学会を行いました。新聞広告も初めて打ち、なんとか集客には成功しました。ところが、それまで営業など一度もしたことがなかったので、お客様に何を話せばいいのか、どう追いかければいいのかもわからず、成約にはほとんど結びつきませんでした。試行錯誤しながら営業実践の繰り返しを5~6年続け、ようやく営業の仕方を覚えました。 営業力が身に付いた事で受注も少しずつ増えました。この特殊パネル工法はエリア制をとっていないため、近隣にも多くの認定工務店がありました。同じ工法の認定工務店同士で、お客様の取り合いになることも珍しくありませんでした。多くの認定工務店はこの特殊パネル工法以外の工法の家も建てていましたが、うちはこの特殊パネル工法一本に賭け、他の工法は一切扱いませんでした。それだけに営業的には苦しかったのですが、「『地震に強く、暖かい家』と言えば石川住建」という認知が地域に浸透し、何とか集客も増えていきました。この工法のパネルは窓の位置が決まっているため、デザイン的には制約があったのですが、それでも建具店時代から見てきた他の工務店の図面のよいところを取り入れさせてもらい、「他とは一線を画すデザインの家を建てる工務店」としても認知されるようになりましたこうした努力が実を結び、平成20~21年には年8棟を受注し、茨城県内の認定店の中で2年連続トップになることができました。
特殊パネル工法一本に賭けてきた御社が、なぜこの工法から離れることにしたのですか。
この工法に執着する限り、多くのお客様に手の届く価格の家を提供することがどうしてもできなかったからです。この工法は高額な特殊パネルを使うこともあり、坪単価が60万円前後になってしまいます。工法もデザインも気に入ってくれたお客様でも、いざプランを作ると、「借入限度額が300万円足りない」という話になることがほとんどでした。なんとかお客様に買っていただこうとすると、うちも限界まで値引きせざるをえないので、当時は粗利が17~18%しかありませんでした。苦しくて泣きながら経営していました。こんな経営はもう続かないと考え、平成20年には、この工法に替わる新しいシステムを探し始めました。
新しいシステムに、どのような条件を求めましたか。
新しいシステムに求めた条件は、4つありました。 1つ目は、工法や仕様が自由であることです。 それまで培ってきた高耐震・高気密のノウハウと、「『地震に強く暖かい家』なら石川住建」というブランドイメージを活かすためにも、決められた工法や仕様でしか建てられないシステムは、除外しました。 2つ目は、デザイン性が高く、かつ自由にアレンジできることです。 当社では、パッと見て「石川住建の家」とわかるような独自性のあるデザインの家を建ててきましたので、お客様に一目見て「かっこいい」と感じていただけるデザインが提供されていて、なおかつデザインの変更に制約のないシステムを探しました。3つ目は、売りやすいことです。 お客様が多い価格帯の家を提供できることも、欠かせない条件でした。販促ツールが充実しているかどうか、特にお客様の前ですぐに答えられる見積りシステムの有無をチェックしました。また、販売できるエリアが狭すぎるシステムは除外しました。4つ目は、システムの費用が妥当であることです。加盟料、ロイヤリティーなどが高額すぎるシステムも除外しました。
フォーセンスの存在をどのようにして知りましたか。
「新建ハウジング」誌の後ろに載っていた住宅ネットワーク一覧を見ていて、フォーセンスの商品住宅の写真が目にとまり、デザイン性の高さに興味を持ちました。ホームページから資料を請求し、資料が届いた翌週には、フォーセンスの辰田さんに来社してもらいました。 辰田さんの説明を聞き、フォーセンスが工法・仕様・デザイン・販売エリアなどが自由で、販促ツールも充実したシステムであることが確認できました。この時点で、私の気持ちはほぼ固まりましたが、家族や社員全員の気持ちが固まるまでには、何日も話し合いを持ちました。
フォーセンス導入を、どのように決断しましたか。
建具店から工務店に転換した時の、あのすさまじい逆風を乗り越えられたのだから、大丈夫だと自分に言い聞かせ、導入しました。
(写真右:フォーセンス経営支援室室長 辰田 敏明)
茨城県石岡市で大手建材メーカー系特殊パネル工法での注文住宅を手がけてきた石川住建株式会社では、2011年にフォーセンスの「デザイン住宅開発マニュアル」を導入しました。
代表取締役社長の石川武氏(写真左)に、フォーセンス導入の経緯と効果を詳しくうかがいました。