注文住宅が、住宅リフォームを越える売上の柱になった経緯を教えてください。
住宅リフォーム事業が好調だった頃は、この好調がずっと続くと思ってました。これから定年退職する人が増えますし、建物は余っています。リフォーム需用が増える理由はあっても、減る理由はないと思っていました。ところが平成19年(2007年)頃から、テレビ番組「大改造!!劇的ビフォーアフター」の終了と連動するように、リフォームの受注が急激に落ち込み始めました。そこであわてて、リフォームに代わる売上の柱を探し始めました。設計事務所からの請負仕事では利益を出せません。アパート・マンション建設は家賃保証を求められるので、将来のリスクが高すぎます。分譲住宅には手を出さないと決めていました。選択肢は、注文住宅以外ありませんでした。
なぜ「分譲住宅には手を出さない」と決めていたのですか。
土地だけしか気に入っていただけていないお客様に、建物まで押しつけるようなことをしたくなかったからです。建築条件のせいで土地が売れるのが遅れれば、売主さんも不利益を被ります。やせがまんと言われるかもしれませんが、やはり「三方(さんぽう)良し」でなければ、事業は永続できないと私は思ってます。
注文住宅は、すぐ売上の柱になりましたか。
注文住宅は、なかなか売上の柱になりませんでした。しばらくは「自由設計」を掲げ、「RCでも鉄骨でも木造でも、なんでもおまかせください」という打ち出し方をしていました。しかしこれでは、家を売るにも、家を建てるにも、膨大なコストと手間が掛かります。お客様も、自分が建てたい家のイメージがなかなかわきません。当時はリフォームの受注は減る一方、注文住宅は軌道に乗らないという状況で、経営は火の車でした。
フォーセンスのことは、どのようなきっかけで知りましたか。
注文住宅が軌道に乗らず苦しんでいた時、フォーセンスからFAX DMが届きました。松山で開催される、無料セミナーの案内でした。うちが苦しんでいる状況の打開に役立つセミナーと直感し、設計担当の社員1名を派遣しました。 社員が持ち帰った資料を見て、私はフォーセンスの家にほれ込んでしまいました。こんなかっこいい家なら、お客様も「この家に住みたい」と思ってくださるだろう。商品化の問題も解決できるはず。フォーセンスのノウハウを導入すれば、注文住宅を新たな売上の柱にできるに違いない。そう考えたのです。そこで、フォーセンスの西山社長が経営する宮崎県のチトセホームの見学会に、設計担当の社員2名を派遣しました。
なぜ社長が直接行かずに、社員を派遣したのですか。
私は自分が見て「ええなぁ」と思うと、すぐ導入を決めてしまうのです。それでよく失敗してきました。「坪40万円で高気密・高断熱の家が作れる」という触れ込みのFCに加入したこともあります。そのFCでは付帯工事費が別途10万円掛かることは、入会後に知りました。このFCは数年で倒産しました。戸建て賃貸住宅のノウハウを、400万円で購入したこともあります。このノウハウはほとんど役に立ちませんでした。市と提携したコンサルタントの勧めで始めた事業で、2千万円の損失を出したこともあります。 そういう失敗を繰り返してきたので、ここは慎重に行こうと思ったのです。
チトセホームの見学会に派遣した社員の反応はいかがでしたか。
見学会に派遣する前に、社員たちには「なぜフォーセンスの家はあんなにかっこいいのか、そのポイントをつかんで来なさい」と宿題を出しておきました。見学会から帰った社員たちは、全部で11のポイントを報告してくれました。今回は、私1人の思い込みではない。セミナーと見学会に派遣した社員達も、フォーセンスの手法のすばらしさを実感している。社員が数時間の見学でこれだけのポイントを持ち帰れるのだから、導入すれば、さらに豊富なノウハウをいただけるに違いない。そう確信し、「デザイン住宅開発マニュアル」の導入を決めました。
(写真右:フォーセンス経営支援室 室長 辰田敏明)愛媛県西条市のマーク住研では、平成20年(2008年)にフォーセンスの「デザイン住宅開発マニュアル」を導入しました。代表取締役の鴻上和義(こうかみ かずよし)氏(写真左)に、フォーセンスのマニュアル導入の経緯と効果をうかがいました。